第1回:勉強する意味

勉強する意味って何でしょう。

 

これは多くの人が一度は考えたことのあるテーマではないでしょうか。

学校の先生・塾や予備校の先生も様々な意見を持ちそれを学生に伝えています。

私も自分なりの意見をここで伝えようと思います。みなさんはそうしたものを見て、自分なりの「勉強する理由」を見つけてください。

 

勉強する理由、それは

「人生を楽しくするため」です。

 

なんだ、しょーもなと思ったそこのあなた、少し待ってください。

勉強する理由を考える前に皆さんに知っておいてほしいことがあります。それは現代の日本の社会において、学歴は何を表すものなのか?ということです。

どうですか?この質問にあなたは答えることができるでしょうか。

これも人それぞれ違った表現で意見があるでしょう。私の意見は

「日本の社会において、学歴はその人の能力を示すものである。」というものです。

身近な例で考えましょう。テストや模試があったとき、みなさんは友人と点数のみせあいなどしたりしますよね。点数・偏差値の高い人を見たときに「頭いいな」とか「すごいな」とか思ったりしませんか?私は思ってました。

「そんなこと思わねーよ」って人。いると思います。でも本当にそうですか?この「そんなこと思わねーよ」って人は2パターンいます。

1,勉強が苦手・できない人

2,勉強がとても得意、でも別に勉強は好きじゃない人

 

1の人は自分が勉強ができないので勉強ができる人をひがんでいうことが多いですね。

2の人の多く、そして1の人の中の少数。この人たちは真に「頭がいい」ということができるかもしれません。なぜなら、「学力=能力」が100%正確ではないことに気づけているから。

 

話を戻しましょう。テストの点数・偏差値が高い人を見て「勉強ができるんだなあ」だけじゃなく「すごいなあ」と思う。それは「勉強ができる人」を「すごい人・頭のいい人」だと思うからですよね。その時点であなたの中で「学力=能力」は成り立っている。

その一方で自分よりテストの点数が低かったり偏差値が低い人を見てあなたはどう感じますか?周りの人はその人をどう見ていましたか?多くの人はその人を「自分より頭が悪い」と考えていませんでしたか?

 

それも、一緒です。

そしてこの学力=能力は日本の社会において覆ることはそうそうないでしょう。

学生の経験はその人を形作る大きな財産です。

あなたはどちらを選びますか?

①学力が高い、周りから「すごい」「頭いい」と認定される。

➁学力が低い、周りから「馬鹿」「アホ」と認定される。

 

周りから認められることってすごくうれしいですよ。スポーツもできない、自分が取り柄のない人間だと感じている人が周りに認められ褒められる一番最速の方法って学力を上げることなんですよ。

しかし、「認められる」ことにはそれなりの対価が必要です。それはスポーツでも一緒。あなたの「時間」そして「努力」が必要です。

その対価を払って自尊心を高め楽しく過ごすのか、対価を支払わずだらだらと過ごしてみじめな人生を送るのか。

学生は「今」頑張ることで「今」も「この先」も人生どうするか選べるんですよ。